自分の肩は自分で治そう
私が痛み、しびれ、コリの症状に興味を持ったきっかけは、中学1年生の頃、野球部に所属していたことです。
1学年14クラスあるマンモス校では野球部員も多く、指導者の目が行き届かない状況でした。そのため、「とりあえずキャッチボールをしておけ」と言われ、私は初めから最後まで真面目にキャッチボールを続けていました。その結果、早々に肩を痛め、夜間に疼いて眠れない経験をしました。
高校でも遠投などで肩を痛めることが多くなり、最終的には痛みだけでなく、精神的にも投げることができなくなりました。
その頃からさまざまな医療機関を受診しましたが、自分の肩がなぜ痛むのか、納得のいく説明を得ることはできませんでした。
「なぜ?」と疑問を持ち始め、自分で答えを見つけようと思うようになった頃から、身体の動きや使い方に興味を持ち始め、治療家を目指そうと考えました。
しかし、どのような治療法が自分に合っているのかわからなかったため、まずは鍼灸を学び、その後、柔道整復の養成校に通いながら治療院で研修を行いました。卒業後はカイロプラクティックを学び、通信大学では心理学を専攻しました。
さらに、救急指定病院のリハビリテーション部に就職し、現代医療にも携わりました。
さまざまな分野の治療法や医療を経験してきましたが、「これだ!」という決定的な方法を見つけることはできないまま、29歳で独立開業しました。
30代半ばで武道に目覚める
開業後も勉強会やセミナーに積極的に参加していた頃、JR奈良駅近くに合気道道場が開設されると聞き、なんとなく足を運びました。道場主はイラン人の青年で、彼の武道に対するひたむきな態度に共感し、入門しました。しかし、ビザの関係で彼は1年も経たずにアメリカへ帰国してしまいました。
短い期間ではありましたが、彼を通じて武道の精神に目覚めた私は、彼の元で学ぶためにロサンゼルスへ向かいました。
その道場はハリウッドのアクション俳優の道場で、彼はその弟子の一人でした。道場自体は日本人が運営しており、私は10日ほど夫婦でシェアハウスに滞在し、連日稽古を体験しました。一方、妻は道場を運営する方のお父様がマクロビオティックの創始者・桜沢如一先生の直弟子だったことに興味を持ち、帰国後に資格を取得しました。
結果的にロサンゼルスには残らず、吹田市にある植芝盛平翁の直弟子が開いた道場で学ぶことになりました。
本物の伝統武術に出会う
同時期に、病院勤務時代の同僚が伝統武術を始めたと聞き、情報交換をするうちに興味を持ち、私も入門しました。
そこでようやく、自分の目指す道に出会うことができたのです。
治療家として最も大切なのは「師」に付くこと。しかし、私はそれに気づくまでに17年もかかってしまいました。
それ以来、ほぼ毎日仕事以外の時間を伝統武術の稽古に費やし、気がつけば26年が経ちました。今では、稽古が楽しくて仕方ありません。時間があれば身体を動かしたくなり、他のことに時間を使うのがもったいなく感じるほどです。
私の尊敬する師は、400年以上の歴史を持つ武術流派の宗家であり、「型」を通じて当時の侍の身体を現代に再現する研究を続けています。その姿に近づくことこそが、私の施術の進化につながると悟り、現在に至ります。
振り返れば、治療の世界に入るとき、私は「道具を使わず、身体ひとつでできること」を目指していました。その思いは、柔道整復術の原点である柔術へとつながり、今の施術スタイルへと結びついています。
型を極めることの意味
「型」とは、決められた動きを繰り返し行うことで、理論を身体で表現するメソッドです。
一般的に、型というと融通の利かない決まりきったものと思われがちですが、実際には極めることで自由を生み出すものです。
現代では、自由や個性が尊重される一方で、それが「我流」に陥る危険性も孕んでいます。型通りの動きとは、個性や特性を排除し、純粋な形を追求した先にあるものです。それを我流で変えてしまうと、技そのものが消えてしまいます。
初期の稽古は誰もが我流から始まります。しかし、稽古を重ねることで我流を削ぎ落とし、純粋な型へと近づいていきます。これは、自らの変化を拒む「我」との戦いでもあります。
型稽古を続けることで、身体の深層にある運動系統が変化し、最終的には「意識せずとも正しく動ける身体」へと進化します。
身体を正しく導くために
型稽古を通じて養った感覚をもって人の身体を見ると、通常の見方とは異なる視点が得られます。この感覚を施術に活かすことで、痛みのある箇所ではなく、真に機能不全を起こしている部位を特定できるのです。
そして、その部位を正しく働かせるように導くことが、私の施術の核となっています。
これからも、武術の型を極めることで、より精度の高い施術を追求していきます。