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古武術体の力を抜く秘訣

芸術性を高めたいあなたへ|古武術の体の使い方と稽古の本質とは?【武道と武術の違い】

芸術性を高めたいあなたへ──その身体の使い方、本当に自分のものですか?

演奏家、舞踊家、俳優、美術家……。
芸術表現の深みを追求し続ける方なら、一度はこう思ったことがあるはずです。

「もっと自由に、もっと深く、自分の表現を磨きたい」

ですが、どうしても身体の限界にぶつかったり、理想と現実のギャップに苦しんだりする。
そんな時、私が提案したいのが「古武術の身体の使い方」です。

古武術には、目に見えない“身体操作の叡智”が詰まっています。

特に古武術の「術」にこだわり、自分でも気付いていない動きの意味を正確にくみ取る作業を行います。

術とは人が身に着ける特別な能力や技能を指します。普通ではなく特別です。

人とは違う特別の能力を発揮するために、体を練らなければなりません。
その作業が必要になり根底にあるのが、「稽古」という概念。そして、この稽古を理解するにはまず、「武道」と「武術」の違いを知ることが大切です。


武道と武術の違い──私的なイメージから

歴史的に見ると、もともと戦(いくさ)のための「術(すべ)」として武術が存在していました。
つまり、武術=方法論
武術は生き残るための技であり、実戦における具体的な身体操作の集合体です。この具体的な身体操作中に「術」があり、この術にこだわり、術を高める作業が武術の大切な眼目でした。しかし、術を疎かにしてしまうと技になりにくくなり、そこに術以外の何かを補填したくなる。この補填作業の発展が武術の衰退に繋がっていると考えます。

やがて時代が下ると、戦が現実から遠ざかり、技術の実用性よりも「心の修養」や「精神性」が重んじられるようになります。ここから発展してきたのが「武道」です。
つまり、武道=精神論>方法論という構図が成り立つと感じます。

また術以外の補填により、技術の向上を図る方法は、精神だけでなくいろいろな工夫が取り込まれるようになり、先へ先へと進歩し発展を遂げてきた経緯があります。

この違いが、身体の鍛え方にも大きく影響します。


武術は「過去」を読み解くこと、武道は「現在」を生きること

現代のスポーツや運動学では、常に最新のデータや技術が重視されます。
今日よりも明日、古い情報よりも新しい知見。これは武道にも見られる傾向で、「今の足りていない自分を足して高めるか」という視点です。

新しい知見は、創意工夫が発展に欠かせません。今よりも高みを目指して新しいものを取り入れ、自分の成長の糧にする方法は、武道にかかわらずスポーツ全般に当てはまる事です。

このような事から、先を見つめ、足りていないものを足す武道はスポーツと同じ方向性を感じ取る事が出来ます。

一方、古武術は真逆です。
流祖や歴代の先人たちが命がけで築いてきた膨大な過去の実績に目を向け、それを忠実に再現することが求められます。
その再現の精度こそが“技の再現性”であり、術としての機能を保つカギでもあります。

たとえば、手首のちょっとした動き──一見「ヒョイッ」と行っているだけの所作に、実は何百年もの知恵と実績が詰まっている。
それを正しく読み取るには、やはり“稽古”という営みが必要なのです。


稽古と練習の違い──技を「掘る」か「積む」か

「稽古」と「練習」は似て非なるものです。
練習は、技術を高めるために今の自分に合ったやり方を見つけ出して反復を行うこと。つまり“積み上げる”作業です。自分に足りていないモノ・コトを探し出し、どのようにしたら補えるのか外から足し補う作業。

一方の稽古は、先人の技や考えを過去に遡りながら掘り下げること。
単なるデータや手順の反復ではなく、「なぜこの動きなのか」「何を意図しているのか」を追い求めます。

その深掘りには終わりがなく、精神性にすり替えて“気持ちの持ちよう”で済ませてしまう危うさもあります。
しかし、それでもなお難しいことを、難しいまま稽古する
そこに、技を深め、表現を磨くための本質的な姿勢があるのです。


自分の中に本質を見つける──光は“外から”でないと当てられない

私たちは、自分の内側に本質があると分かっていても、それを見つけ出すための「光」を自分で当てることはできません。自分で自分の事がわからないことがあるように、自分の今の状況がどの様な状況なのか判断するためにも客観的評価が必要です。

客観的評価、論理的根拠など現代スポーツを筆頭に技術を高める手段として欠かす事が出来なきなくなりました。例えば試合、試してみて初めて自分の実力がわかります。試合、順位、段位など客観的評価は欠かせません。

では、外に光を求めない古武術はその光をどこから得るのか?

それが、稽古という時間とプロセスに他なりません。
過去の技、先人の知恵、他者との対話を自らの中で行う──それらが自分自身の中の「暗闇」に光を当ててくれるのです。

そこには試合や段位の客観性は必要ないのです。


まとめ:芸術性を高めたいなら、「練習」ではなく「稽古」を

芸術性とは、単に技術を積み上げた先にあるものではなく、自分の中に眠る“本質”との出会いです。
古武術は、そのための強力なヒントを与えてくれます。

体の使い方一つをとっても、そこに込められた「知恵」と「思い」を感じながら再現する。
あなたの表現に、より深い重みと響きをもたらしてくれるのが、「稽古」というあり方なのです。



古武術の居合構え

執筆者 荒木淳一
柔道整復師・鍼灸師
古武術の「型」稽古歴26年
型に隠されている力を否定した動作を求めて術を探求する。
力を抜く構えづくりをコンセプトに整体施術を行う。

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