咄嗟の危機に体が動いた瞬間
〜古武術の体の使い方が命を守った日〜
いよいよ私も還暦を迎えました。とはいえ、私の親世代もまだ健在で、義理の父は先日、米寿を祝ったばかりです。しかしその後、体調を崩し、入退院を繰り返す日々が続いています。
腎臓疾患を患う義父は、免疫力を抑える薬(プレドニン)を多量に服用しているため、本来は感染防止の観点からも長期入院が望ましいのですが、医療機関の逼迫により、先日も退院を余儀なくされました。
その日、妻とともに車で義父を病院へ迎えに行き、実家に到着したときのことです。
妻は先に門扉を開けて玄関に走り、私は車の後部ハッチを両手で開けようとしていました。その瞬間、「うわっ!」という義父の叫び声。
見ると、義父は道路から25cmほど上がったエントランスに登った直後、体のバランスを崩し、真後ろに倒れようとしていたのです。
私から2mほど離れた位置。両手は頭上にあり、体勢的にもすぐに助けられる状況ではありません。しかし次の瞬間、私は咄嗟に右脚の力を抜き、体を右に倒しながら左脚を義父の倒れる方向へ差し出していたのです。
義父の体はすでに90度近く倒れ、アスファルトに後頭部を打てば命に関わる大事故になるところでした。しかし25cmの段差が幸いし、私の左脚がその隙間に滑り込み、義父は私の脚の上に倒れ込むような形で衝撃を吸収されたのです。
古武術的な体の使い方が生んだ咄嗟の反応
この一連の動きは、私が長年稽古してきた**古武術の「力を抜く体の使い方」**が自然に働いたものでした。
今振り返ってみても、右脚の“抜き”が成功の決め手だったと実感しています。
通常であれば、2m先に倒れ込もうとする人へ左脚を伸ばすには、
- 右脚を軸にし、
- 腰を回転させながら左脚を右方向へ回し、
- 最後に右脚で地面を蹴って体を右方向に運ぶ…
という一連の段階が必要です。これでは、どれほど身体能力が高くても間に合いません。
弛緩から始まる古武術の初動
現代の運動やスポーツでは、初動は「緊張」から始まるのが一般的です。しかし古武術の体の使い方では、初動は“弛緩”から始まるのです。
右脚や右股関節を一瞬で「抜く」ことにより、体がいきなり右方向に倒れ始め、倒れてくる義父との距離が一気に縮まりました。
しかも、これは回転運動ではなく直線運動であったため、目的地まで最短で移動できたのです。さらに体が右に倒れると同時に、左脚が体の中心に向かって閉じるように動きます。
この「閉じる・開く」という動作こそが、古武術的な体の使い方の真髄であり、型の稽古で養ってきたものです。
型稽古は動きの雛形ではない
私の師は常々「古武術の型は実践の雛形ではない」と仰います。
今回のような突発的な場面では、あらかじめ決められた型通りの動きなど通用しません。重要なのは、どんな状況でも“効率的に機能する体”を作っておくことだと、改めて実感しました。
クラシックとジャズの融合としての古武術
私は古武術を、クラシック音楽に例えることがあります。型とは、作曲家の意図を忠実に表現するクラシックの演奏のようなもの。しかし今回のような出来事では、状況に即応する“即興”=ジャズのセッションが求められます。
つまり、古武術とはクラシックの構築美と、ジャズの即興性を併せ持つ芸術的身体技法なのかもしれません。
まとめ
今回の出来事は、私にとって「型稽古の本質とは何か」を改めて考えるきっかけになりました。そして、古武術の体の使い方が、日常の中で思いがけず命を守る技となったことに、深い感謝と驚きを覚えます。
これからも「力を抜く」体の使い方を探求し、日常に活かしていきたいと強く思っています。